アンコール紀行2-2 コーケー遺跡「簒奪者(さんだつしゃ)の都」地図編

                           

2018年08月23日

2006年、コーケー遺跡への道、その大部分は赤土道、雨期は走行が困難であった

コケー遺跡群は2006年以来、何度か取材しています。ミレニアム(2001年)に直前、NHKテレビ番組で日本初公開のコーケー遺跡、当時の取材は軍のヘリコプタ―に兵士の護衛付きでした。2006年、日本語でのコーケー遺跡の紹介は、旅情報誌Discover Asia in Cambodia(D.A.C.) #2(No.2) 2007年3月発行が、日本語では初めて紹介されたものです。当時は、シェムリアップからベンメリアの遺跡に向かうが、国道6号線を除き、赤土道で雨期の走行は困難であった。

20世紀半ば頃のコーケーKoh Ker遺跡の位置。画像:フランス極東学院の学術調査の地図よりdiscover NAVI編集部が作成。
2006年当時の取材から作成したコーケー遺跡へのルート地図。現在、道路状況は良くなったが、ルートには変わりない。画像:Discvery Asia in Canbodia(D.A.C.)#2(No.2)2007年3月発行
プラサット・トムの中心、奥殿にあたる五段のピラミッド。2006年撮影

  コーケー遺跡群、周囲は地雷原

2006年、コーケー遺跡への道

コーケー遺跡群も赤土の車道以外は、地雷原を示す看板が各所に建てられていた。遺跡群 のなかでは、車道と王の絶対権力を象徴する五段のピラミッドがあるプラサット・トムとその周囲以外は地雷原の看板があり、周辺の寺院遺跡の多くは森や草原で踏み込むのも命がけの感があった。

2006年、こうした看板遺跡群のいたるところに観られた。

地元民が言う内戦期は、大規模な盗掘があった

2006年、初めて訪れた時、小屋掛けの売店を商う地元民に聞くに内戦期にタイ軍のヘリコプターが降り立ち、大規模な盗掘が行われたという。1998年までシェムリアップ北東方約33㌔のクーレン山はポル・ポト派支配地域であった。1979年のポル・ポト政権の崩壊後もプノンペンの中央政権がカンボジア全土を掌握するのは、漸く1998年のポル・ポト派の解体後であった。特に90年代にコーケー遺跡、大プリアカーン、バンテイ・チュマールなどの主要遺跡は、政府軍、ポルポト派、ポルポト派を非公然に支援したタイ軍によって盗掘が行われていた。

2010年代に入って旅行社主催のツアーが実施される

2018年現在、コーケー遺跡まで舗装され、地雷撤去も進み、コーケー遺跡から先、プリアヴィヘア遺跡山麓まで、拡幅された車道が通じている。2008年にプリアヴィヘア遺跡が世界遺産に指定された直後、俄かにタイ・カンボジアの国境紛争が勃発したが、ここ5年は落ち着き、この2月に山麓のプリアヴィヘア博物館も開館している。

掲載地図は、2018年現在、これ以上性格で詳細の地図はない。もちろん2006年以来日本語表記では初!

2007年3月発行当時も2018年現在もコーケー遺跡地図で正確さ、詳細さで超えるものは出ていない。

掲載地図は、2006年以来、数度の現地取材とフランス極東学院の調査に基ずく刊行物掲載地図を参考としており、英語版はもとよりクメール語のコーケー遺跡地図の刊行はありません。下掲載の鳥瞰図は極東学院の調査図をもとに本サイト(Discover NaVI)の編集部が作成したものです

コーケー遺跡詳細地図。
Discover NAVI編集部制作
上掲載のコーケー遺跡地図の左半分
上掲載地図の右半分。

*参照下記の①~③の文をクリックしてください。

① アンコール紀行2 簒奪者(さんだつしゃ)の都:コーケー

② アンコール紀行2-B 「アンコール遺跡-巨石の前に佇んで」研究者の寄稿より

② Discovery Asia in Cambodia #2(No.2) 特集「とことんアンコール 幻の都」

③ コーケー遺跡の詳細地図ートップ画面上部のボタンMapをクリックー準備中ー

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