ニュースとしてはちょっと遅れた感があるが、見逃せない内容のニュースです。
先月2月12日にヤンゴン市内マハーバンドゥーラ公園で、アウン・サン将軍の銅像設置に反対する集会が行われ約50人が参加した、地元紙が伝えている。


この集会を行ったのはWEジェネレーションという若者の団体で、カヤー州の州都ロイコーにアウン・サン将軍の銅像を設置することに反対している。同団体のモー・トゥエー議長は「アウン・サン将軍の銅像を州都に設置するのは、大ビルマ民族主義を地方に押し付け、少数民族を侮辱するものであり容認できない。NLDは即刻設置を中止すべき」とコメントした。2月11日には、ロイコー市内で銅像の設置に反対するデモ行進が行われ、治安部隊がゴム弾を使用して弾圧、多数のけが人が発生した、という。
アウン・サン将軍はビルマ独立の英雄
ー少数民族には大ビルマ民族主義の押しつけという反発―

アウン・サン将軍と言えば、ミャンマーの前名「ビルマ」の独立の父と英雄視される人物、独立から軍事政権まで首都であったヤンゴンには、アウン・サン廟がある。が、そのビルマ、独立時から少数民族の問題が燻り、少数民族のなかには、未だ武装闘争で国軍と戦火を交える組織もある。そうした経緯から軍事政権時代にミャンマー主要民族のビルマ族の国という理念の国名「ビルマ」から「ミャンマー」に国名が変わっている。近年、激化しているロヒンギャ問題では、ミャンマー国軍は一貫してロヒンギャはミャンマーの少数民族ではなくイギリス統治時代に政策的に移住してきた民族だと主張している。
根深い少数民族問題―ロンヒンギャ以前の問題である―
今回の反対集会、わざわざカレー州(旧名カレンニ―州)の州都だけではなく、ヤンゴンで開かれたところにミャンマーのアキレス腱となっている少数民族の根深い問題を露出した感がある。そこには、ビルマ族の英雄であっても、少数民族のカレンニ―族の州都に建てるな、という主張でビルマ族が多く占められるミャンマー政府の中央集権化の抵抗である。ミャンマーの民主化以後も軍事政権時代に変更した国名を再び「ビルマ」に戻さなかったのは、その変更理由からアウン・サン・ス―チ―国家顧問を頂く政府は引き継ぎ、大ビルマ民族主義を否定しているからである。が、ビルマ族が主流占める政・経済界や軍・警察への少数民族の不信は強いことを先の集会は物語っている。
因みに軍事政権時代、長く軟禁状態に置かれたアウン・サン・スーチー氏、彼女が独立・建国の英雄であったアウン・サン将軍の娘であったことが、国軍幹部の軍事政権が命までは奪えなかった理由であったことは、周知の事実である。
*参照:下記の文①をクリックしてください。