ラカイン州・古都ミャウウー、世界遺産登録を目指すが…

ミャンマー

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2019年09月18日

 354年間続いたアラカン王国の都ミャウウー

ミャンマー情報省によると、同国宗教・文化省(Ministry of Religious Affairs and Culture)はラカイン州の古都ミャウウー(MraukU)の世界登録遺産を目指しているという(プレスリリーフより)。

*上掲動画:ミャンマーのMyanmar National AirlineのPR動画だが、古都ミャウウー( Mrauk Oo)が取り上げられている。動画は、YouTube [The highlights of Mrauk Oo, Myanmar (English)]より

古都ミャウウー 画像・google earth より。
今日のラカイン州に対応するアラカン地域の歴史は、おおまかに7時代に区分する事ができる。最初の4時代は、ラカイン族が支配したアラカン王国で、政治組織の権力中枢の存在したラカイン北部地域、特にカラダン川流域を地盤としていた。アラカン王国の4つ時代は、ダニヤワディー(Danyawaddy)ワイタリ(Waithali)レイムロ(Lemro)ミャウウー(MraukU)に分けられ、1430年にソー・モン王(King Saw Mon)が王都をミャウウーに定め、1787年までの354年間、49人の君主が就き「ミャウウー時代」を築いた。
アラカン王ミン・ビンの像 画像:Wikipedia より。
ラカイン族は、ミャウウー時代と重なる大航海時代を「ラカイン族の黄金時代」とみなし、ミャウウーが商業港として重要な位置を占めるようになると、アラビアやヨーロッパとの広範囲な交易ネットワークにも組み込まれた。1666年、隣国のムガル帝国にチッタゴンを奪われると、17世紀を通じて、衰退を続けることになった。1784年から1785年にかけて、アラカン王国はビルマのコンバウン王朝(ビルマ最後の王朝:1752年 – 1886年)に征服された。
アラカン王国滅亡後、ラカイン地方はコンバウン王朝の領土となったが、1824年に第1次英緬戦争が勃発し、1826年にはラカイン州とタニンダーリ地方域が、ビルマから英国へ割譲された。しばらくして英領インドのビルマ地方の一部に編入された。また、コンバウン王朝は第2次、第3次英緬(イギリス・ビルマ)戦争に敗れ1886年滅亡し、ビルマ全土(現ミャンマー領土)はイギリス領となった。1948年、ビルマの独立時にラカイン州は現在ミャンマー(旧称ビルマ)に併合された形になっている。

 世界遺産登録に値する古都、という評価が高いのだが…

かつてアラカン王朝の都であったミャウウーには、今なお古い宮殿、城壁、壁、砦、仏塔、遺物保管所、僧院、穀倉などが、アラカン王朝最盛期の多くの遺物が残っている。さらに、仏像、石碑、硬貨、古代の陶器などの文化遺産は、高い文化や技術を示しており、以前から世界遺産登録に値する古都だ、いう評価の高い歴史遺産地区です。

世界遺産指定は地域の情勢次第か

*YouTube動画「ロヒンギャは今 政府が見せたくなかった村を撮影」 BBC製作 2018/07/04 に公開

ミャンマー・ラカイン州の国境沿いのバングラディッシュ領土内にイスラム教徒のロヒンギャ難民キャンプがある。青数字はラカイン州から逃れた難民数。黄土色の点:2017年8月25日から12月2日までに焼かれた村。地図上のMYANMARの文字の右下に焼かれた村の点が3つあるが、ミャウウーはその南東部に位置している。画像:2019年9月17日付 ミャンマーの少数民族ロヒンギャに「ジェノサイドの深刻なリスク」 国連調査団 AFPBB Newsより

ミャンマー政府宗教・文化省は、2019年9月30日までに登録要請の書類の草案を提出し、2020年1月に本文書が提出できるよう関係省庁は何度となく会合を開いているといい、同書類一式を世界遺産委員会に提出した後は、2020年9月に委員会の専門家らがミャウウーを視察し、世界遺産への登録が協議されることになる。

*最上の画像:google Earth掲載画像より。

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