古都フエ フランス植民地時代からのトゥアフー刑務所が観光客に再開

ベトナム

  観光情報

                           

2021年01月23日

古都フエのトゥアティエンフエ歴史博物館によって、トゥアプー刑務所の再開式が12月22日に開催されました。

トゥアプー刑務所は当初、ベトナムのグエン王朝時代の海兵隊の住宅地であるトゥイスバラックの一部でしたが、1899年にフランス植民地当局は当時の兵舎を刑務所に変え、抵抗運動を抑え込む施設としまいた。

フランスの植民地政権支配後、同刑務所アメリカ軍に引き継がれ、さらに逃亡防止の堤と監視塔を含むよう拡大された。 そこには、ベトナムのヴォーグエンジャップ将軍や1930年代初頭のゲティン・ソビエトの蜂起の多くの重要人物を含む、いくつかの有名なベトナム革命家が同刑務所に収監された。

1954年、ベトナム共和国当局(南ベトナム政権)は、共産党のメンバーや他の革命家を収監するために新たな独房監禁室と地下室を建設した。Thua Thien-Hue歴史博物館・館長であるNguyen Duc Loc氏によれば、トゥアプー刑務所の保存と修復プロジェクトによって監視塔、南ベトナム政権時の2階建ての建物、ブロックハウスなどが整備されたと述べた。古い塁壁、門、内部道路、そして有名な詩人であり政治家であるトゥアティエンフを収監した独房があり、昨年12月の再開によって人々の眼に触れることになり、古都フエに新たな観光名所が生まれたことになる。

 テト攻勢・フエ(虐殺)事件

フエのトゥアプー刑務所が新たな観光地となり、そこを訪れる人たちは、そこでの残虐な囚人の扱いをみるかも知れない。こうした刑務所施設はベトナムで多くが公開されている。そこにはフランス、南ベトナム、米国という主人の抵抗したベトナム人への弾圧の姿である。が、一方戦争の狂気が生んだ北ベトナム、解放戦線側の仕返しという形の残虐な事件もおきている

現在ベトナムの公式の歴史書には記載されていないが、当時の北ベトナム、南ベトナム解放戦線が抗米闘争の一貫として行ったテト攻勢は、戦術的には大きな被害を受けた攻勢側だが戦略的には米軍撤退の引き上げとなった勝利の戦いとなっている。だが、その攻勢の最中に北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線は、占領した街で南ベトナム政府関係者を形だけの路上裁判で次々に処刑していったが、その中には文民(その多くが政府職員)や修道女も含まれていた。フエでは予め処刑者の名簿が配られており、名簿に名前がある人物は、殆どが後頭部に銃弾を撃ち込まれて射殺された。その犠牲者は数千名と言われており、現ベトナム政府は公式にはこの虐殺を認めていない。この攻撃は結局、南ベトナム解放民族戦線への恐怖を南ベトナム国民に知らしめる役割を果たした。

                              テト攻勢でのフエの戦いは米国映画「フルメンタル・ジャケット」にも描かれており、また1990年代、発禁本にちかい扱いであった「(邦題)戦争の悲しみ」の著者バオニンは北ベトナム兵士として参加している。同書には「白いシャツを見たら撃て」と命じられ、役所の女性事務員が無差別に射殺される場面が描いている。本書は政府による発禁本扱いにもかかわらずハノイの大学生のほとんどがコピーの回覧本を隠れて読み涙したという逸話が残る名作である。

 

*掲載写真:フエのトゥアプー刑務所 画像:tuoitrenews.vnより

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