外国人参観者は、日韓観光客限定! アウン・サン廟

                           

2018年12月14日

独立の英雄:アウンサン将軍ら祀られている「殉難者廟(通称・アウン・サン廟)」

ミャンマーの最大都市ヤンゴン(旧称ラングーン)に訪れる外国人観光客は多いが、日本人と韓国人のみに参観が許されている場所がある。そこは同国独立の英雄アウン・サン将軍らが祭られている「殉難者廟(通称・アウン・サン廟)」である。ここは、北朝鮮政府の指示を受けた3名の工作員による韓国の閣僚が殺害されたテロの事件の場でもある。なぜ、日本と韓国の人々のみ参観が認められているのだろうか。

アウンサン将軍

アウンサン像 画像:Wikipediaより

アウンサン、オンサン(ビルマ語: အောင်ဆန်း: Aung San、1915年2月13日1915年 -1947年7月19日 )は、ビルマ(のちのミャンマー)の独立運動家。「ビルマ建国の父」として死後も敬愛されている。ミャンマー民主化運動を指導し、現在は国家顧問として実質的な国家指導者の地位にあるアウンサンスーチーは長女。

独立の為、日本軍と共闘:太平洋戦争開戦後の1941年12月16日に、アウンサンと同志たちは南機関の支援を得てバンコクにビルマ独立義勇軍を創設[1]。日本軍と共に戦い、1942年3月にラングーンを陥落、1942年7月ビルマからイギリス軍を駆逐することに成功し、ビルマ独立義勇軍をビルマ防衛軍に改組した。南機関はバー・モウを中央行政府長官に据えビルマに軍政を敷き、鈴木大佐は離任した。 1943年3月にはアウンサンは日本に招かれ、わずか28歳の若きリーダーと称えられ旭日章を受章し、同年8月1日にバー・モウを首相とするビルマ国が誕生すると国防相になった[3]。ビルマ防衛軍はビルマ国防軍に改組された。この時期には、「面田紋次」という日本名を名乗っていた。

抗日闘争:アウンサンはビルマ国民軍への日本の待遇のあり方やビルマの独立国としての地位に懐疑的になり、その後インパール作戦の失敗など日本の敗色濃厚とみるや、イギリスにつく事を決意する。すでに1943年11月にはイギリス軍に「寝返りを考えている」と信書を送り、1944年8月1日、独立一周年の演説でビルマの独立はまやかしだと発言。8月後半にはビルマ共産党、人民革命党と提携して「反ファシスト組織」の軍事的リーダーとなりひそかに組織を広げていった

将軍生前のアウンサン像 画像:Wikipediaより

独立と暗殺:1947年1月27日、英国首相クレメント・アトリーと、1年以内の完全独立を約束する「アウンサン・アトリー協定(Aung San-Attlee Treaty)」に調印した。マウントバッテンがアウン・サンらにお墨付きを与えた結果、連合国軍はアウン・サンを戦犯にすることができなかったのである。2月27日には国内各派のリーダーたちと、ビルマの独立に向け連帯と協力を確認する「パンロン合意」を発表したが、国内は混乱を続けていた。4月には制憲議会選挙でAFPFLは202議席中196議席を獲得し圧勝したが、完全独立に向けてのイギリスとの厳しい交渉や、何度にもわたる会議で国内対立の解消と国家統一への道を模索し続けていた

1947年7月19日、翌1948年1月4日のビルマ独立を見ることなく、6人の閣僚とともに暗殺された。暗殺犯は、政敵であり前首相のウー・ソオ(ウ・ソオ)の一味とされ、親日家のウー・ソオが自分の野心のために暗殺したとされている。一方、アウンサン暗殺の黒幕はイギリスであり、ウー・ソオは犯人に仕立て上げられたのではないかという話もある。高山正之によると、イギリスは日本と組んだアウンサンをどうしても許せず、死刑囚としてナイロビの刑務所にいたウ・ソオが命と引き換えに暗殺の片棒を担がされた、とビルマ人は信じている

<以上、Wikipediaの記述より抜粋>

ラングーン事件

ラングーン事件で破壊された通称:アウンサン廟と暗殺された6人の閣僚を含む全斗換大統領一行。 画像:Webサイトより。

事件は、1983年10月9日にビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)の殉難者廟(アウンサン廟)で発生した爆弾テロ事件である。「ラングーン爆破テロ事件、「アウンサン廟爆破事件などとも呼ばれる。 事件は北朝鮮により、ビルマを訪問中であった大韓民国(韓国)の全斗換大統領一行の暗殺を狙って引き起こされた。大韓民国では「ボマ事件(「ボマ」は、ビルマの朝鮮語読み)」とも呼ばれている。司令部は工作員が多数配置されていた、クアランプールの在マレーシア北朝鮮大使館とされる。

事件当時、ビルマは南北等距離外交を行っていた。ラングーンには双方の大使館があったが、ビルマは南北両朝鮮には大使館は設置せず、北朝鮮への大使は駐中ビルマ大使が、韓国への大使は駐日ビルマ大使がそれぞれ兼任していた。非同盟中立を標榜していたビルマは、北朝鮮との関係は、事件前はかなり友好的なものであった。しかし、「建国の父」であるアウンサン将軍の墓所を爆破し、要人の暗殺に利用するという行為に、ビルマ政府は憤慨し、北朝鮮との国交を断絶するのみならず、国家承認の取り消しという厳しい措置を行い、1985年には当時の最高指導者であるビルマ社会主義計画党(BSPP)のネ・ウィン議長によって同廟は再建された。その後両国の国交が回復する2007年まで、24年の歳月を要した。

<Wikipediaの記述より>

*この事件に続く北朝鮮の国家テロによる2017年2月13日「金正男暗殺事件」では、マレーシア北朝鮮大使館がテロの現地指令部として再び使われている。2018年12月、北朝鮮は暗殺に利用された女性の出身国のベトナムに非公式に謝罪したいう報道があった。

2013年5月25日 アウンサン廟を弔問した安倍首相夫妻 画像:日本国首相官邸のHPより。

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