旧泰緬(たいめん)鉄道、ユネスコ世界遺産の登録申請へ

タイ

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2018年05月12日

タイトル Death Railwayn. 泰緬鉄道の鉄路。
地図:Wikipediaより。

5月5日、タイ紙の報道によれば、タイ西部カンチャナブリ県は、第二次大戦中にタイとビルマ(現ミャンマー)を結んだ泰緬鉄道を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録申請する方針を固めた、という。

急崖に架けられたアンヒル鉄橋。眼下にクワイ川の流れ、スリル満点の体験である。          写真:Webサイトより

泰緬鉄道は全長415キロメートルで、タイ西部ラチャブリとビルマのタンビュザヤを結んだもの。旧日本軍がビルマ(ミャンマーの旧名)進出を機に海上輸送路の確保が困難なため、陸上輸送路のため建設し、旧日本軍の名付けでは、泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。<Wikipediaの記述より>旧日本軍が連合国軍の捕虜や東南アジアの占領地から集めた労働者を使って突貫工事で建設したため、過酷な作業で大勢が死亡したことから「死の鉄道」とも呼ばれた。

クワイ川鉄橋。最初の橋は木橋。付け替えられたもの。写真:Wikipediaより

「建設の作業員には日本軍1万2000人、連合国軍の捕虜6万2000人(うちイギリス人6904人、オーストラリア人2802人、オランダ人2782人、アメリカ人133人の合計1万2621人が死亡)のほか、募集や強制連行による「ロウムシャ」と呼ばれた労働者  タイ人数万(正確な数は不明)、ミャンマー人18万人(うち4万人が死亡)、マレー人(華僑・印僑含む)8万人(うち4万2000人が死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人が使役された。」「突貫工事による欠陥により脱線事故が多発し沿線のあちこちに機関車や貨車の残骸が放置されていたという。」(Wikipediaの記述より)アジア系労働者の扱いでは、連合国捕虜よりも劣悪であったという。

公開時、日本でもヒットした映画。またサントラの「クワイ川マーチ」もよく知られている。

 

2001年制作。日本軍の捕虜となり、泰緬鉄道の建設に従事させられたスコットランド兵アーネスト・ゴードン(英語版)の体験を綴った著書『クワイ河収容所(英語版)』の映画化作品。

戦後は廃線となったが、ラチャブリ県のノンプラドゥクとカンチャナブリ県のナムトク間が復活している。。映画「戦場にかける橋」(1957年公開)で知られ、クワイ川鉄橋が観光の中心となっている。また、クワイ川鉄橋の付近にはJapan、England、America、Thailand、Hollandの頭文字を取ったJEATH戦争博物館、連合軍共同墓地やその他旧泰緬鉄道に関する博物館もある。ビルマ側にも旧泰緬鉄道の線路や蒸気機関車が残されている。また、戦争時に建てられたタイ側の日本軍慰霊碑(1944年建立)は、連合軍捕虜の憎悪の的となりしばしば損壊されるが、ビルマ側の慰霊碑には損壊は見られない。

 

映画2013年制作。エリック・ローマクス(英語版)の自叙伝『泰緬鉄道 癒される時を求めて』(The Railway Man)の映画化。
の日本軍憲兵隊通訳は永瀬隆氏(1964年より毎年タイを訪問し、泰緬鉄道建設に駆り出されて病死などで死亡した連合国兵士およびアジア人兵士労働者への慰霊活動を始める。1986年には、タイにて『クワイ河平和寺院』を建立する[4]。同年、タイの青少年に奨学金を授与する目的で、『クワイ河平和基金』を設立)をモデルとしている。

また、鉄道建設が困難な地形を相手にしたため、復活した鉄道は、クワイ川沿いの渓谷を走り風光明美で特に、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」が知られる。中でもアンヒル桟道橋は急崖に括りつけられたような橋、眼下にはクワイ川が流れる、スリル満点の名所で観光客に人気である。

今回の旧泰緬鉄道の世界遺産申請は、負の戦争遺跡であるため、その登録には紆余曲折が予想される。なお、現在、ミャンマー政府は旧泰緬鉄道の廃線部分に新たな鉄道と幹線道路を建設する計画を進めているという。

 

 

 

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