特集 クメール源流紀行 世界遺産 ワット・プー No.1 国境越え~パクセーへ

                           

2018年03月13日

カンボジア発の旅情報誌・Discover New Asia は、カンボジアはもちろん、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーをカバーする時空を超えた旅情報をお伝えしています。毎号の特集に合わせて掲載する詳細地図はいずれも現地調査に基づくもので、多くは本邦初(日本語表記では世界初)というものが多いです。ディープでフレッシュな旅情報掲載で知られる本誌、前身のDiscovery Asia in Cambodiaを合わせると通算41号(2018年3月現在)になります。

今回は、ラオスの世界文化遺産:ワット・プーへの旅の特集です。この旅は、カンボジアの首都プノンペンを起点としています。空路ならバンコク、プノンペンからラオス南部の中心都市パクセーに降り立つことになります。

特集 クメール源流紀行 世界遺産 ワット・プー

緑滴るワット・プーの本殿。最奥、最上段にある。

 カンプチアとクマエ

インドシナ半島の歴史はクメール、ベトナム、ビルマ、タイ系の諸民族が時代を異にしながら北から南へ浸透した興亡史である。なかでもクメール民族は最も早くメコン川水系の広大な平野部に進出した。現在、カンボジアの人々は国土を「カンプチア」とよび、出自を「クマエ(英語Khmer、クメール系カンボジア人*)」と称する。クマエと称する時、それはカンボジアの国土を超えてタイ東北部、ラオス南部、ベトナム南部まで拡がるクメール民族を無意識に暗示しているのだろう。カンボジアの語源は扶南*の建国神話に見られる土着の首長(中国史料名:柳葉)と結婚したインドから渡来したバラモン僧カブジャ(KaundinyaⅠ、中国資料名:崑崙)とその子孫を意味するチア(チャ)に由来する。また、5世紀頃にラオス南部に興り、7世紀前半には扶南を圧迫・吸収したクメール民族最初の王国:真臘(中国史料名。チェンラ王国)は、やがて706年に南の水真臘、北の陸真臘に分裂したが、水真臘の王子:プシャカラクシャが陸真臘の王女と婚姻して即位し「カブジャの王」と名乗っている*。国名と民族名が異なるのはこうした歴史に由来する。事実、チェンラ王朝に続くアンコール王朝は自らの出自に強くこだわり、チェンラ王朝揺籃の地であるラオス南部・チャンパサック地方に壮大な寺院ワット・プーを造営し、アンコールからコーケーを経てワット・プーに至る王道を敷いた。クメール源流紀行は、「水の文明・アンコール」*から始まった<とことんアンコール>シリーズが本号に到ってその集大成を成すクメール文明の源流を遡る旅である。

*クメール系カンボジア人:カンボジア国民の90%弱を占める。
*扶南(漢文資料・ふなん 2-6世紀 クメール語プノン:山に由来する)及び真臘(漢文資料:しんろう 6世紀末―9世紀初)
*「カブジャの王」:発見された最古碑文(611年造、アンコールボレイ出土)より。
*「水の文明・アンコール」:D.A.C. 創刊号-本誌New Asiaの前身-に掲載 2006年発行。

 メコン、それは偉大かつ母なる河

プノンペンの魅力はメコンにある。訪れる者の多くが「首都でこれほどの大河に接する景観は稀である。」という。川沿いのカフェから眺めれば、メコンは悠久の時を感じさせ、焦熱の地にあっても川面を渡る風が心地よい。メコンとは、クメール語でTônlé Thum、つまり大いなる(偉大なる)川の意味である。歴史は時間的である前に空間的なものであり。さまざま地域にさまざまな経験が積み重ねられ、それらが地域を超えて無数の関係で結ばれている。クメール源流紀行はメコンを遡り、クメール文明の結び目を紐解く旅となる。事実、クメール文明は先ずメコン水系に花開いた。地図*を見るに7-9世紀の遺跡の多くがメコン水系に連なる。チャンパサックの揺籃地からメコンを下ればストゥントレイン対岸のプレア・コー、百柱寺があるサンポール*、プノン・サンボック、プノン・ソポア、ハンチャイを経て、やがてプノンペンで合流するバサック川を遡りトンレサップ湖岸へ、サンボープレイクック、ロリュオスといった遺跡群につながる。クメール民族はこうした経路を辿って拡がったに違いない。王道で結びつくアンコール時代の遺跡群はその後のことである。まさにメコンはクメール民族にとって偉大にして揺籃の地につながる「母なる河」でもあった。
*遺跡群の地図:Discover New Asiaに毎号掲載「カンボジア全図」参照。サンポールは8世紀、水真臘の王都と推定されている。この「カンボジア全図」は、プノンペンにある日本人学校(小・中学校過程)の社会科副読本・2017年版に掲載・採用。

 早朝に立てば、国境を超えて夜にはラオスのパクセへ

早朝、プノンペンを立ってラオスに向かう。国境越えは午後3時頃となった。途中、クラチェで昼食をとっての強行軍である。ストゥントレンまでは舗装道であるが、ここから先、国境までの道がひどい。一部舗装でもつぎはぎだらけの悪路でこれがラオスと結ぶ国道とは思えないほど。また、昼間だというのに対向車も稀である。ストゥントレン郊外でラタナキリに向かう国道78号線とクラチェからの国道7号線が交差するが、78号線はメコン橋を渡って西のアンロンヴェンへつながり、7号線はセコン川の橋を渡ってラオス国境へ向かう。7号線は橋も道も78号線に劣る。思うに中国、ラオスを経てカンボジアに入るインドシナの南部回廊よりベトナムとタイを結ぶ東西回廊のほうがカンボジアでは経済的に重視されているのであろう。それにしてもいかにも見栄っ張りなカンボジア人の国民性、国境ゲート手前の500mから突然、道がよくなる。

左:カンボジアの入出国管理所、右はラオスの同建物。カンボジア側では実務は小屋でmラオスはクーラ――付の建物で職員は仕事。

 国境越えは簡単だが…

ここでも国境ゲートでお馴染みの大仰なカンボジア様式の建物が見られる。が、敷地には草が生えゴミが散乱する荒んだ光景、実際の手続きは職員が数人詰める遮断器横の小屋であった。ラオス側を見るに現代風の建物、室内クーラー付き窓口で職員が受け付ける。カンボジア側職員の「ナアナアの対応」、ラオス側職員の律儀さ、一方はランニング姿、片や制服姿である。ラオス側にはゴミが少ない。ここに両国の国民性を見る思いがする。国境越え*はコツを知っていれば実に簡単、また、カンボジア側から簡単な手続きで車ごとの入国*が可能である。
*国境越えの手続き:後述を参考に

 先ずは豪快なコン・パーペンの滝へ 

国境を越えると道はよい。道を進むこと6㌔弱で左手に滝への案内板が目に入る。道を左折して入り1㌔程、突き当りの看板を見て左手の道を進むとラオス様式の寺を中心とした公園に着く。寺にはメコン川中洲から運ばれた聖なる巨木が安置されている。軍のヘリコプターまで動員されて運ばれた聖木であるが、その由縁は定かでない。その先のレストラン・カフェへ進むと眼前にメコンを望む。雨季の水量たっぷりの黄土色のメコンは堂々たる流れ。対岸は4000の島(シーパンドン)と称される中洲群の一つ。流れは急でそこ彼処に渦を巻く。公園内を滝壺側へ河沿いに遊歩道が伸び、広い敷地は電気自動車(カート)の運行もある。やがて徒歩10分程で滝全体が見渡せる展望台カフェに着くと一気に眺望が開ける。
滝の落差は高い所でも10m弱だが、中洲に遮られた支流が200m余の横並びに落ち込む。滝壺は水煙に霞み、轟々と鳴り響き水飛沫を浴びるような近さである。「ラオスのナイアガラ」と称するガイドブックもあるが、いかんせん落差がない。日光の竜頭の滝を横並びにした大規模なパノラマという感。4000の島々(中洲)は、砂岩の断層帯に突き当たるメコンの一大三角州、支流はその出口を求めて一気に断層帯に落ち込み、他に多くの滝をつくるが、ここコン・パーペンの滝は中でも滝壺側から見られるもっとも豪快な滝である。

エコ・ツーリズムが盛ん。 宿泊は滝近くのリゾート系ロッジかコン島へ

急ぐ旅でなければ、滝から上流へメコン河岸に並ぶリゾート系ロッジか滝の上流10㌔のナカソンから遊覧船に乗りコン島での宿泊がお勧め。コンタイの街ではリゾート系からバックパッカー用の安価なバンガロー・タイプの宿泊が可能。予約なしでも困らない。ここでは自転車による島や滝めぐりでゆったりするのが主流である。また、コン島にはコン・パーペン滝と並ぶソン・バミット滝がある。滝は上流から眺めることになるが、滝壺の対岸はカンボジア、ここはクラチェの郊外・カンピと並ぶメコンイルカ(カワゴンドウ)の生息地である。カンボジア側のAnlung Chheutealとコン島からメコン・イルカ鑑賞の遊覧船が出る。

*上の地図参照

① 豪快なコンパーペンの滝。ヒマラヤに発するメコンの大量の水が、一気に落ち込む。
② 世界一過酷な漁場のひとつに数えられるコーンパペン滝の漁師
シーパンドン(4千島)ではリーズナブルなバンガロー、コテージタイプの宿が多く、欧米人を中心に“まったり旅行”を楽しむ旅行者が多い。

左:ラオスに入国するや道路状況は格段によくなった。右:パクセー市内、町の規模からすると人出は少ない。

ラオス南部の観光拠点・パクセへ

コン・パーペンの滝から一気に国道13号線を北上すること4時間弱、パクセの街に着く。街はメコンとセダン川の合流点の河岸段丘に拡がる。パクセはラオス中部のサバナケットと並ぶ第2の都市であるが、人口わずかに10万人を超える程度、街の拡がりに比べ人出が少なく、そのためか落ち着きのある街。この街からメコン右岸を下って世界遺産:ワット・プーへ、東のボラベン高原には豪快な滝や野生象の飼育、少数民族の集落など観光ポイントが散在する*。
メコン左岸寄りが街の中心部、市場近くの街並みの多くは2階建て瓦屋根の小奇麗な漆喰造りで中華の影響を受けた北部タイの田舎町の趣がある。またフランス統治名残のコロニアル建築が散在し、その代表的建築は華僑の商工会議所が有している。街にはラオス国旗と並ぶハンマーと鎌の交差するソビエトの赤旗が多くみられるが、建前は社会主義であってもその刺々しさはない。そして何よりも安心して歩道を歩け治安も良い。街路のゴミの散乱やけばけばしい看板も少なくカンボジアから来ると清楚な印象を持つ。また、市場も近代的で多くのタイ製品に溢れ、生鮮食料品は屋根付きの屋外にあるが不潔感がない。屋台には一様にハエ追いの扇風機が取り付けられている。同行のカンボジア人が冗談に「KTV(カラオケ)がない」と言っていたが、カンボジアの街近くになるとクメールレストランのビール看板が林立し、大音響の歌が流れ、街に入ればゴミが散乱、外国人とみれば何かと声をかけてくる人々。ラオスにはカンボジアの活気はない反面、猥雑さもない。
パクセの街、夜9時には多くの店が閉まってしまう。街の交通手段は郊外に向かうソウテク(車の荷台を改造)か街中ならサイカー(自転車ではなくオートバイ付き)、他にバスターミナルを発着とする遠く首都ヴィエンチャン行きかタイ、カンボジア等近隣国を結ぶ大型バスである。サイカーの流しはなく、捕まえるなら市場前である。ちょっとした移動に不便だが、街のゲストハウス近くにはレンタル・バイク屋があり、旅行者の利用を見る。

<No.2へ続く>

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