特集 クメール源流紀行 世界遺産:ワット・プー No.3 さらに奥へ

                           

2018年03月14日

ワット・プーの第二参道入口。香華が手向けられた蛇神(ナーガ)を見るに、ラオスの人々によってクメール遺跡が大切に守れてきたことが解る。彼方に見事な石積が見える。

第二参道 内側吹き抜け回廊付き参道、他にコーケー遺跡のみ

第二参道入口の左右に無造作な砂岩の積み上げがあり、入口には一対の欄干端の胸を張る七頭の蛇神(ナーガ)像、腹部の法輪も鮮明である。参道はわずかに勾配を上げ、突き当りは基壇を三段に重ねた横長の十字形テラスにつながる。参道左右にはリンガ型の石柱飾りが並びその外側に砂岩の切石、これはよく見る蛇神(ナーガ)の欄干かと思ったが、後に見る学術書に南・北宮殿から続く回廊であることを知った。左右に吹き抜け回廊を持つ参道は他にコーケー遺跡プラサット・トムのみ、それは中央祠堂群の環濠を横切る参道であるが、わずかに30m弱、ここ第二参道は100mを超える。第二参道の左(南側)に聖牛ナンディンの祠堂(プレア・コー)。祠堂は南北に細長くそれぞれに入口を持つ。入口のテラスに一対の聖牛ナンディン象を置き、さらにテラスから降りた外に一対を置いていた。
第三参道は三段重ねの基壇上のテラスに向けて勾配を上げる。参道の敷石は波うち歩きにくい。正面基壇上に左右対称の各三つ祠堂があったが、既に崩壊している。さらに一壇上に十字形テラスがある。そこからはピラミッド状に砂岩を積み重ねた七つの基壇で土止めされた急斜面、参道は階段となるが、両側から大きな肉厚の葉が茂る常緑樹チャンパの木(プリメリアの花を付ける)が覆いかぶさり深い木陰をつくる。
*チャンパの木:この名付けやチャンパサックという地名もチャム族のチャンパ王国(ベトナム中南部部海岸の都市国家連合7-17世紀)に由来し、ワット・プーの本殿もチャンパの影響が見られるという説があるが、定かではない。なお、プリメリアの花は、「ラオスの国花」である。

左:“チャンパ”の木に覆われた第三参道からテラスへの階段。右:ラオスの国花であるチャンパ(プリメリア)の花はナショナルキャリアのラオ航空のロゴに採用されている。
思わず息を飲む本殿の美しさ。ワット・プーの最奥、最上段にある。背後は崖になっている。本殿の眉庇や壁面の守護神、デバター像の精緻な深彫りはバンテアイスレイ寺院に匹敵する。

 濃緑の森に鎮まる本殿の美しさ

階段参道下で吹き出す汗を拭って一休み。心して一気に階段を登りきると、そこが本殿だ。熱帯樹の濃緑とその枝ぶりに小ぶりな印象を持つ本殿であるが、左右の守護神像に射竦められ、仰ぎ見るに良質な砂岩を使用した堅牢な姿。連子窓は内部を密閉した偽窓、内に静まるかのような祠堂である。それは威容ともいうべき佇まい。開口部の眉庇や破風に精緻な浮彫の数々、濃緑の森に鎮まる灰褐色の本殿は実に美しい。
本殿は断崖を背景に一段下がった広い基壇上、東西に細長の建物。正面入口は開口部が三つ、側面にそれぞれ一つの入口、正面入口はテラス付き中央開口部が迫り出し両側は壁で仕切られている。壁外側にはデバタ―(天女)の浮彫がある。一方、側面入口の開口部の迫り出しの壁は連子の偽窓である。正面入口の迫り出し開口部のテラスには、おそらく正面左右の壁に彫られた守護神*と対峙したバンテアイ・スレイ遺跡(10世紀)同様に屈む守護神像が置かれていたのだろう。左右の守護神、深彫りで鮮明な印象を与え、建物自体を引き締めている。一方迫り出し開口部側壁のデバタ―像、深彫の技術の確かさとふっくらとした素朴な顔立ちからバンテアイ・スレイ遺跡の「東洋のモナリザ」*を思い起させるが、装身具の少なさからあの華やぎはない。
*守護神:本誌の表紙参照。

*「東洋のモナリザ」:石澤良明氏の名付け。バンテアイ・スレイ遺跡のアンドレ・マルローの盗掘事件(1923年)のデバタ(天女)像と対をなすもの。

左:本殿北、像はラオス仏ー現代の物。右:本殿のある最上段よりワット・プー遺跡、チャンバッサク平野を望む。
「クリシュナの悪王カムサ殺害」の奇怪なレリーフは必見。

 

裳を翻し、あたかも神が舞うかのような浮彫。ーワット・プー本殿の正面南側入口の眉庇ー 

 精緻な浮彫群、特異な意匠は他に見ない

正面入口、左右開口部の眉庇(リンテル)に精緻な浮彫、正面開口部の一歩中に入った所にも眉庇の浮彫を見る。いずれも深彫りの見事さと保存状態の良さは驚嘆に値する。先ずは右手開口部の眉庇の浮彫、二頭の蛇神を踏みつけて両腕に三頭の蛇神を抱えた怪鳥ガルダの肩に乗る四つの腕を持つビシュヌ神、左手の一つは剣、もう一つ法螺貝?を握る。背景の唐草文様は波打つ大海原か天空の雲海か、ガルーダの背後から左右に弧を描く唐草の茎はまるで翼のよう、あたかも蛇神の船を操るガルーダの肩に乗るビシュヌ神が今まさに波を切って大海原を進む(雲海を飛翔する)が如く、実に躍動感にあふれた傑作である。こうした意匠、寡聞にして他を知らない。眉庇上部の破風には猿神(ハヌマーン)を交えた神々の群像、実に丸彫り近い彫りの深さである。左開口部は天神の舞いか、裳を翻し踊るかのような神像は両腕を大きく左右に展げる。神々の宴の姿のひとコマか。正面開口部一歩奥の眉庇浮彫、ここは少し厳めしい。三頭の像に乗るインドラ神、右手に邪悪を打つ独鈷杵*を握り振り上げる。インドラ神背後から包む火炎のような光背?、古くは神々の宮殿ドームの意匠であったが、ここでは神の威光の拡がりを象徴する意匠となっている。左右上部から唐草文様は花火のように降り注ぎ、左右の下隅にカーラが蹲る。いずれも特異な意匠で他の例を知らない。また南側入口を一歩入った所の眉庇「クリシュナの悪王カムサ殺害」という三頭身が絡み合う浮彫、実に奇怪というか奇妙な図像で他に例を見ない。
他の眉庇の浮彫はいずれも先に南・北宮殿址で見た「蹲るカーラに乗る神像」の意匠だが、三頭の像に乗る神像意匠と同様に光背?となっている。古風な印象を持つ本殿であるが、意匠の変遷を見るに本殿に先立ち南・北の宮殿が造営されたのか。また、南側入口の破風には乳海撹拌の意匠を見る。また、本殿の南北には経蔵があったが、南経蔵のみ残る。そこには摩耗・破損しているが象軍が行進する浮彫を見る。

*独鈷杵:古代インドの武器でヒンドゥ神々や仏像の法具となる。他に三鈷杵が知られる。

本殿は時代を異にする複合建築か

本殿を一巡りすると解るが、中央部のラオス仏の区画から後ろは煉瓦が小山をなす崩壊した姿である。外観を見るにラオス仏の区画から後ろは煉瓦と砂岩を組みわせた建築。思うにラオス仏の奥、崩壊したところが伝説の「聖水に浸されたリンガ」のあった祠堂ではなかったか。ならば、先にリンガを安置する煉瓦造りの祠堂があり、後に砂岩を用いて増築し、ラオス仏のある区画は前殿(列柱殿)ではなかったかと思う。本殿は時代を異にする複合建築*であったようだ。

*複合建築:煉瓦崩壊の部分は学術書に1930年代の祠堂写真が掲載されている。東大 寺三月堂(法華堂)は奈良・天平期の傑作仏像群を蔵することで知られるが、堂自体 は仏像群のある内陣が奈良時代、拝所に当たる部分は鎌倉時代という見事な複合建築 である。

左:ワット・プーはシヴァ神に捧げられた寺。右:ビシュヌ神を中心とした三神の像。

本殿中央にはラオス様式の仏像が鎮座する

正面中央開口部から二つめの仕切り、区画は正面三つの開口部幅に拡がる長方形、内部の壁は煉瓦で密閉され、二列の柱が屋根を支える構造である。中央奥にラオス様式の仏陀像が安置され、その上を現代の仮屋根が覆う。この空間が、ラオス仏教徒にとっては内陣*にあたる。傾く砂岩の柱に合わせた身の丈の仏陀像の前にも小さめの仏陀像が並び、周囲の仏具と共に香華が手向けられている。カンボジアの遺跡もかつてはこうだった。押し寄せる遊びがてらの旅行者と共に蔓延した拝金主義が人々から敬虔な祈りを奪ったのだろう。何より遺跡は地元民のもの、敬虔な祈りをささげる人々が遺跡を守ってきた。

*内陣:本尊を祀る祭壇のある場所、祭壇と参拝者を内陣内で仕切るのが  一般的である。

ワット・プーの境内を望む。第三参道を上ると塔門跡に出る。その左右に3対の祠堂があったが、基壇を残すのみ。見える聖池(バライ)は中央聖池、北の聖池は復元されたが、南にも同規模の聖池があった。
聖山プー・カオ。ヒンドゥの神々がこの地に受け入れられると”リンガパールヴァータ”と呼ばれた。ワット・プーは、聖山プー・カオに捧げられた寺院遺跡である。 ー写真:三輪悟氏提供ー

 背後の急崖はヒンドゥ受容以前からの聖地

本殿の背後、急崖を前に基壇と砂岩積みの壁を設けた造成地、左手に進めば岩間から滲み出る聖水、右に進めば砂岩に彫られた象や鰐、見事な彫りである。仏足や法輪の彫りは遥か後世のもの。左の聖水が本殿奥の煉瓦造りの祠堂に安置されたリンガを浸していたのだろう。振り返れば、木の間の先にチャンパサックの水田地帯が広がり、その先メコンの川面が光る。ワット・プーは聖山プー・カオに捧げられたシヴァ神の寺院であるまえに、聖水があまねく平野を潤す聖地であった。

本殿背後の急崖下に見事な象の彫刻が残されている。

<No.4へ続く>

 

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