<ちょと嫌な予感> 殺人未遂容疑で39歳日本人無職男逮捕 同アパートのカンボジア人男女に切りつける

                           

2018年12月12日

埼玉県・羽生市の男女カンボジア人への殺人未遂

埼玉県警羽生署は9日、同じアパート内に住むカンボジア人の男女3人に刃物で切り付け殺そうとしたとして、殺人未遂の疑いで羽生市南羽生、無職、名嘉山秀明容疑者(39)を逮捕した。 逮捕容疑は8日午後9時ごろ、アパートの別の部屋に侵入し、いずれもカンボジア国籍の職業不詳の男性(32)、無職の男性(29)、無職の女性(34)を刃物で切り付けて殺そうとしたとしている。3人は胸や腹などに軽傷。羽生署によると「人を殺そうと思い部屋に入った」と供述、容疑を認めている。現場の部屋には事件当時、7人がいた。名嘉山容疑者は複数の刃物を使用しており、署は動機を調べる。

<産経新聞の記事・2018年12月9日より>

多国籍の街:東京・上野、地方都市でも目につく外国人労働者

上野アメ横の変貌。夕暮れのアメ横、もはや外国人が多数派、それも多国籍。  画像:Webサイトより

たまに帰国すると海外在住者は、日本に住む人々以上に日本の社会の変化に気づくのではないか。今や、東京ではどこでも外国人観光客や外国人日本在住者の姿を見かける。ここ数年、洗練から立ち遅れたような浅草や上野界隈が活気を呈している。浅草はもちろん外国人観光客が先ずは立ち寄るところだが、上野はかつて東北出身者のメッカのようなところであった。また、アメ横は、庶民の買い出しの街の感があった。そのアメ横だが、平日も夕方には混んでおり、かつてよりもずっと賑やかさを取り戻している。歩いてみると、雑踏の人々は日本人より外国人が多く、欧米系からアジア系、混然としている。驚いたのは、路上に面する庶民的な食堂、扱うのは生きの良い海鮮類でも、厨房からウエイター、ウエイトレスは外国人、そしてお客も外国人が多く、日本人客はその中に混じっている。ここも路上と同じく多国籍。東京のほうが大阪よりも外国人の混在が目立つように見えた。外国人で働く人の日本語は、上野らしい江戸前。こりゃアジアの市場の活気だ!と驚きとともに感動した。さらに感服したのは、アメ横の路上で立ち食いする客も多いのに路上にゴミがほとんどない。アジアの市場でありながら、やはりここは日本なのだ。カンボジアの首都プノンペンなど、見た目の体裁だけでよく見れば、ごみ溜めの街であり、観光都市シェムリアップも大通りから路地に入ればごみ溜めだらけ、かつての東京の夢の島のミニ版のようなゴミ捨て場が、大通りから5分もかからない所にある。

外国人看護士の養成・受け入れ。 画像:Webサイトの画像より
中国メディアに掲載された日本で働く外国人。中国で話題となった。かつて1930年代のアメリカ西海岸の日系人も職場を選ばず出稼ぎ労働が多数を占めた。 画像:Webサイトより

首都圏の都市に行く機会があった。昼下がりの街は人通り少ない。商店街を外れれば、人影を見ないことも多い。そんな中、必ず数人であるいているのは、東アジア圏外の外国人労働者たち。若年労働者の厭う中小企業現場なら地方都市(事実、名古屋周辺を除いて)、実技研修生の名前で行くベトナム、インドネシア、カンボジアなどの出身の労働者が向かうのは日本の若年労働者が都会に流出した地方都市が多い。が、首都圏の都市で昼下がり、数人ずつ歩く姿には驚いた。数年前まで気づかなかった光景である。

いかにもカンボジア人労働者の暮らしぶり

今回の殺人未遂事件の記事を読み、「いかにも」と思ったのは、カンボジア人の暮らしぶりである。おそろく、二間程度の部屋に7人暮らしていたのだろう。カンボジアではありえないが、家族を異に者とも暮らしているのだろう。地方の工場で働く技能研修生の多くは寮の大部屋雑魚寝暮らしである。すでにこうした生活環境は、中国人労働者は嫌うが、カンボジア人はある意味で都合いい。自我の弱い(カンボジア人の子供は、所謂反抗期は20歳前後にやってくる。高校生の多くは日本の小学生レベルの自我だから、教える先生は楽である。が、大学生の年齢は?事実大学構内は小学校以上にゴミの投げ捨てだらけである。)から、けして一人暮らしはできない。寂しさに耐えられないのだ!

行楽地に来る人々から喜捨を求める村人の楽隊。炎天の日除けで日長一日続く。大人も子供もこうしたことを厭わない生活がある。子ども巻きこむとに疑問を感じない大人と子どもはお手伝い感覚が大好き。 画像:Webサイトより。

カンボジア庶民の一般的な暮らし

 

カンボジア・葬祭日の富裕な人々の食事風景。

富裕層の主人に愛人数人が普通。富裕な人々は家事を厭う。家事は田舎から親戚で呼ばれた使用人がするもの。

地方出身者の都市での暮らしは雑魚寝状態。それも、田舎の子どもの多い家では普通だからだれも厭わない。

・カンボジア庶民(国民の大部分)はその日暮らし。何よりも楽しみは飲食の時間。男のほとんどが、度が過ぎる酒飲み。酒好きの女性は昼間からでも機会があれば飲む。正月、お盆に帰省する村々では、酔っ払いの事故や喧嘩が絶えない。毎年、全国で数百人単位の死者が出るがこれが普通なのでニュースにならない。

・カンボジア人は原則1日2食、後は間食程度。朝、昼は一般に家庭で食事は作らない。市場の屋台で済ませる。1日1度夕方から食事作り。食事後、食器類はまとめて放置。次の夕方の食事作りに洗えばよい。暑い国で腐敗がひどく、いつも散乱・悪臭が普通の家の台所。

掃除は見える所だけ、取りあえずする。物の陰は、ゴミ溜め状態が普通。田舎の農家、家のなかに家具はほとんどない、掃除も簡単に済む。農具も5種類程度が普通。だから何百年変わらぬ農業技術が一般的である。水田の田植えの風景はほぼ1年中みられる。それを見て、知ったかぶりの日本人は、「二期作だ!」と勘違いするが、稲刈りの田の隣りで田植え姿は、稲の早生、晩生の違い。二期作なんてカンボジア全土では数%に過ぎない。それは、カンボジアは強制的なポル・ポト政権時代の農業政策時代を除いて、歴史上飢えを知らない。カンボジアは、「米は余るほど穫れ、魚は川で手掴みするほど、果物、野菜なら一年中、様々にある。後は塩だけ買えばいい。」という所なのだ。それなのに近年まで、人口疎らな地、敢えて工夫しなかったか、のようにすれ見える。

・カンボジア人は貧富の差に関わらず、身近な家族以外は信用しない。同僚や親戚が訪れて、その時、機会があれば盗む。他人の親切に感謝はするが、それを恩とは思わない。恩は、常に永続的与えらえるもののみ、永続的ななら、卑屈なほど従う。だから、政治の世界から日常の生活まで日本人なら「恩知らず」と思うような裏切りが当たり前に横行する。裏切る者が、恥や胸に痛み感じることは少なく、コソ泥なら盗んだ時は、ラッキーと思っている。見つかったら、ともかく逃げる。子どものオイタの感覚なのだ。マズイとかヤバイという感情で行方をくらます。例えばバス事故、死傷者でも出るような事故なら先ずは、乗客をおっぽり出して運転手が逃げる。大事故なら国境を越えて逃げる。そして勝手にほとぼりが醒めた頃、ひょこり親友のような顔で戻ってくる。子供っぽい友達のような姿を20歳過ぎた男・男、女・女の仲良しを見るが、ことお金の件になると顔色を変えていがみ合い、お金を得るまではやめない。

貧富の差に関係なく、権力者からコソ泥まで、夜郎自大の大言壮語が多い。夢のようなことをいつも考えており(白昼夢に近い)、権力者は規制されることないから、いいたい放題、政敵へ脅しはヤクザの言動がテレビで流れる。そして最も驚くのだが、多くは自分は「一番頭が良い」と本音で思っている。愛想の良いカンボジア人が外国人と接するのは、一過性以外は利益を当てにしてである。だから、カンボジア人は一般的な意味で友達がいない。彼ら言う「友達」という言葉、単に知っている人に過ぎない。単なる顔見知りかよくて遊び友達。家族を超える友情なんて稀である。カンボジア人同士でも上司ですら「友達」というから、すぐに職場いずらくなる。また、職場では、そこにいる最も地位の高い者に直接、仕事の苦情を言うか、同僚の悪口を訴える。また、上司に2人以上の外国人がいれば、「私はあなたを最も信頼してるが、○○の人(外国人)は信頼できない」と互いに競いあって言いに行く。要はどこでも外国人の上司が2人以上いれば、その外国人たちの仲違いを図る。この点、多くの日本人は良い人を演じて騙されるが、かつての植民地統治者であるフランス出身者は、命令ー服従の関係を厳然と維持し、けして私的領域ではカンボジア人と交わらない者が多い。

一般的にカンボジアでは、労働は原則:1年契約。初任は、3か月見習い。

・カンボジア人の多くは公私の区別がない。私的領域が規制がなければ、無限に拡大する。だから、上から下まで、法は無視。権力者や富裕者はやりたい放題である。一般に自己の行為で他人の迷惑をかける、なんて考えない。

一度あったら、挨拶はない。もちろん家族同士の日常挨拶なんてない。

*以上、悪口だらけと思うかもしれませんが、江戸前期前の庶民の暮らしはカンボジア人庶民の暮らしと重なることが多い。カンボジアでは、事故!泥棒!の声がするや、それを聞いた近くの人は実に嬉しそうに駆け集まってくる。

上記の事件、動機は明らかでないが・・・

大音響、大騒ぎは、興の乗ったカンボジア人が繰り返すこと。本当は公共心が必要なアパート暮らしは無理。それに暮らしにルールがない。これは、70年代から相模原市周辺に住み着いた難民申請のカンボジア人と地元日本人との軋轢生んだ原因である。やがて、少数だったから日本人に合わせるようになった。

加害者の苛立ちは、カンボジア人の暮らしぶりにあったのはなかろうか。

上記のように外国理解は異文化理解と言っているが、実は「歴史の発達段階の差」である、と思える。カンボジア人の子供たち、一般に思春期が驚くほど遅くやってる、のもこれである。

安易な外国人労働者の受け入れ拡大は、憎悪犯罪を誘発するだろう

国会で論議されている外国人単純労働者の受け入れ大幅拡大は、実に西ヨーロッパ諸国が労働力不足の名で、30年以上も前に繰り返した愚である。EUに」入っていないスイスで憎悪犯罪が少ないのは?それに労働力不足は、日本の構造上の問題であるのに実に安易なその場過ごしの政策、それがなぜ通るのか、手っ取り早く安価な労働力を得たいため、である。20代の日本の若者の2割の非正規労働者を解消することが急務であれば、自ずと労働力市場は改善する。要は、企業が安価で使い捨て労働力が欲しいだけ。これで技術移転や日本の良さを知ってもらうなんてい美辞麗句は利益団体の主張。それよりも今回の加害者は日本人であったが、相互の憎悪犯罪が起きることは必然であろう。安易な儲け主義の外国人受け入れ拡大とは、そういうことなのだろう、と思っている。

また、個々の外国人労働者がお金を得て、生活を向上させても、それが出身国をより良い国にするとは思えない(例:出稼ぎ収入がGDPの3割のフィリピン)。「歴史の発展段階の差」というのは、長い時間の交流を経て理解が進む。かつての海外に出た日本人が経験したことである。安易な方法は軋轢生むだけ、と危惧している

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