S-21尋問センターの元所長ドゥ-ク(終身刑囚)、2日に死亡

                           

2020年09月02日

地元メディアは、S-21尋問センターの元所長ドゥ-ク(本名:カン・ケク・イウ 終身刑囚)が、月曜日の午後4時頃、カンダール州刑務所で重篤な病気になり、同午後9時頃にプノンペンのクメール・ソビエト友好病院に移されたが、9月2日の午前0時51分に病気のために亡くなった、と伝えた。

2010年 国際法廷でのS-21尋問センターの元所長ドゥ-ク(本名:カン・ケク・イウ 終身刑囚) Wikipediaより

同終身刑囚は、2010年にクメール・ルージュ(ポル・ポト派)の人道犯罪法廷(国際法廷)で最初のクメールルージュ関係者として有罪となった後に終身刑に服していた。

なお、現在のカンボジアには死刑制度はなく、終身刑は最高刑を意味している。

S-21は、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)出自のポル・ポト派政権時代(国名:民主カンボジア 1975~79年)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。同収容所が稼働中は存在そのものが秘密であったため公式名称は無い。設けられた場所は、旧トゥール・スレン・リセ(フランス式教育制度の中・高校)の敷地と校舎であった現在プノンペンの地名を取ってトゥール・スレン(クメール語: ទួលស្លែង、英語: Tuol Sleng)と呼ばれており、国立のトゥール・スレン虐殺犯罪博物館(クメール語: សារមន្ទីរ ឧក្រិដ្ឋកម្មប្រល័យពូជសាសន៍ទួលស្លែង、英語: Tuol Sleng Genocide Museum)となって公開されている。

S-21トゥールスレン プノンペン・虐殺博物館 元校舎の収容施設 Wikipediaより。

2年9か月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人(現在身元が分かっているのは7人)のみであった(これまでは7人とされていたが、2007年、別の刑務所に移送されたため生き残った女性1人が名乗り出た)。ベトナム軍の侵攻が急であっため、証拠隠滅の時間もなくポル・ポト派幹部はタイ国境に向けて敗走し、同強制収容所の存在が明るみに出た。

収容者の写真。写真撮影用の椅子まで用意され、多くは固定された姿で撮影されている。 画像:同博物館 Wikipediaより。
展示されている遺骨。ベトナム軍発見時は、拷問された姿の遺体がそのまま残っていた。            画像:同博物館 Wikipediaより。

S-21に収容されていたのは、所謂クメールルージュ関係者で幼児から女性まで、疑われた家族そのものが収用されており、言わばクメールルージュ内部の粛清による犠牲者である。カンボジアでのポル・ポト派支配地では約200万人(数には様々な説があるが、解放後の人口比からの説)が殺戮されており、国土全体が殺戮地帯(キリングフィールド)であった。虐殺の対象は、同胞であるクメール族だけでなくイスラム教徒のチャム族、カンボジアのベトナム人も含まれていた。また、第2次世界大戦後の同胞への虐殺は最大規模の大量殺りくとなっている。-wikipediaより-

*病院でのドゥ-ク 画像:khmertimesより

 

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